合唱団・獏

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[ 合唱団・獏へのお問い合わせ ]
2017-08-02(Wed) 12:29:00

お問い合わせは、こちらのメールフォームからお願いいたします。

合唱団・獏へのお問い合わせ



新しいブログとホームページもよろしくお願いします。

合唱団・獏 オフィシャルHP


合唱団・獏 新ブログ



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*****

合唱団

1982
年、加茂高校コーラス部のOBを中心に創団しました。
混声合唱団として、可児市で活動しています。


現在、団員募集中です。

パート別人数(2017年8月)

ソプラノ(10
アルト(7
テナー(2
ベース(2)  計21

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[ 移転しました ]
2017-03-06(Mon) 11:59:00

このたびホームページを移転しました。


新しいホームページはこちらです。

http://chorusbaku.web.fc2.com/


新しいブログ

http://chorusbaku.jugem.jp/


これからも合唱団・獏をよろしくお願いします。



*****

合唱団

1982
年、加茂高校コーラス部のOBを中心に創団。
混声合唱団として、可児市で活動しています。
現在、団員募集中。

現在のパート別人数(2017年3月)

ソプラノ(10
アルト(7
テナー(2
ベース(2)  計21

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[ 団員紹介 ―男声その3― ]
2017-02-03(Fri) 11:47:00

団員紹介!貴重な男声で頼りになる人です。



♪お仕事は何をしていますか?

医療従事者です

 

♪合唱をはじめたきっかけは?

歌うことは小さい頃から好きでした。

中3の時に合唱部ができたので、卓球部から移りました。

 

♪獏に入団した理由と、入団年を教えてください。

2005年、同業の団員から「コンクールに出てもらえませんか」と誘われました。

合唱歴は長いのですが、それまで夏のコンクールには出たことがなかったので、新鮮でした。




♪獏で歌った思い出の曲について語って下さい。

ソーラン節:変拍子に苦労したこと

狩俣ぬくいちゃ:歌いながら拍手と足踏みをするのに苦労したこと

要するに器用ではないです。

 

 

♪獏に入っていて良かった!と思った事を教えてください。

同世代の仲間が多いこと

指揮者と考え方が(たぶん)似ていること

別の合唱団に入るつながりができたこと

 

 

♪合唱以外の趣味を教えてください。

(強いて言えば)車の運転かな

 

♪最後に一言お願いします。

高山から通うのは大変だし、練習に行けないことも多いのですが、普段から練習を積んでいるみんなを頼りにしています。

 


団員紹介TB : 0CM : 0
[ 詩ふたつ紹介 その7 ―霞む空をつかもうと― ]
2017-01-21(Sat) 10:33:00

紹介その1  紹介その2  紹介その3 

紹介その4  紹介その5  紹介その6

 

 

「花を持って、会いにゆく」

の終盤に、こんな箇所があります。

 

春の木々の

枝々が競いあって、

霞む空をつかもうとしている。

「花を持って、会いにゆく」(長田弘)

春の木々

 

この部分に使われている表現技法は何でしょう?

 

A 体言止め  B 対句  

C 擬人法   D 倒置法

 

答え

C 擬人法

 

これは、人ではないものを人にたとえるという技法で、比喩の一種です。

 

では、「春の木々」にたとえられたのは誰でしょう?

この詩の登場人物は「生者」と「死者」です。

「競いあって霞む空をつかもうとしている」枝々というのは、

生者たちの手

ではないかと私は思います。

 

 

「死」について分かりたいけど、どうしても分からないから、それが春霞の空をつかむようなものだ、っていう事かな?と思いました。

 

この詩の中での唯一の情景描写がこの箇所なんですが、ここはとてもキリっとして引き立ってると思います。

二曲目の「人生は森のなかの一日」へのつながりも感じ取れます。

こちらは心情より情景の描写の多い詩です。

 

 

作曲者の相澤さんが、詩画集の絵から不安な印象を受けた通りに、

一曲目

「花を持って、会いにゆく」

は、

どことなく不安な

和音が多いことになってますが、

 

二曲目

「人生は森のなかの一日」

はちょっと違って、

明るい感じ

のところが多いかなと思います。

(ばばTが言ってたハ長調のところもあったりして。)




詩画集「詩ふたつ」のあとがきでは、作者の長田弘さんが

それは死ふたつ、志ふたつでもある

と書いていますが、

 

一つ目の詩「花を持って、会いにゆく」では

他者の死

について、

 

二つ目の詩「人生は森のなかの一日」では

自分の死

について描かれている側面が強いのかなと思います。

 

 

「花を持って、会いにゆく」



「人生は森のなかの一日」


「木々の描写」という点では同じなのに、受け取る感じが対照的。

生きている側に立って死を見つめると、よく分からないから不安なんだけど、

 

自分もいつか死ぬということを考えると、死が本当はどんなものか見えてくる。

 

 

歌の方は、結局

「死ぬ」って不安なことじゃないんだな

 

っていう感じで、終われたらいいのではないでしょうか。

 

 

というわけで、

 

「志ふたつ」とは、

死者の志と、生者の志。

 

「死ふたつ」とは、

他者の死と、自分の死。

 

二つが対比されている作品なんじゃないかなと思います。

 

(更新担当・わたらい)



2017演奏会TB : 0CM : 0
[ 詩ふたつ 紹介その6 ―いつもここにいる― ]
2017-01-18(Wed) 20:13:00

紹介その1 紹介その2 紹介その3 紹介その4 

紹介その5


獏が今年の演奏会で歌う

混声合唱のためのメタモルフォーゼ

「詩ふたつ」(長田弘 作詞/相澤直人 作曲)

 

一曲目の

「花を持って、会いにゆく」の解釈を通して

死んだらどうなるか?

について考えてました。

 

詩の内容によると、死んでからは一本の道の上を


「ここではないどこかへ」と、歩きつづけるという感覚ではなくなる、

ということが読み取れるのではないか、というところまで考えました。

 

それで、たとえば

 

どこにもいないのではない。

どこにもゆかないのだ。

いつも、ここにいる。

「花を持って、会いにゆく」(長田弘)

 

ここらへんなんかはあまり意味がわからず、行き詰っていたのですが、

最近ある本の中で似たような事が書いてあるのを見つけました。

 

「喜びから人生を生きる!臨死体験が教えてくれたこと」

アニータ・ムアジャーニ 著  奥野節子 訳 2013・ナチュラルスピリット


著者アニータさん



香港在住の方ですが、ご両親はインドの方です。

(お父さんは、すでに亡くなられていることが書かれています。)

 

四年にわたる癌との闘いで、死に直面し、臨死体験を経た後に癌が治癒した

 

という内容の本です。

(ありふれたハードカバーの本ですが、なにげにすごいことが書いてあります)

 

彼女は首に出来たリンパ腫が大きくなり、呼吸困難になって病院に運ばれたときに臨死体験をしました。その体験について話そうとしても、言葉で説明するのはとても難しかったそうです。

そこで、こんな比喩を用いた説明がなされています。

 

身体のある生活とは、巨大で真っ暗な倉庫に懐中電灯一つで暮らしているようなもの。

身体を通した「感覚」を通してしか物事を見られないということは、その懐中電灯の光が当たったものしか見えていないような状態、であるそうです。




しかしある日、誰かが電気のスイッチをつけると

倉庫

倉庫全体が見えるようになる。そこはそれまで、想像していたところとは全然違うところ、見たこともないようなすばらしいものでいっぱいの世界。知覚は本来、無限に及ぶものだけれど、身体に制約されているうちは、ほんの少しの事にしか認識が及ばない、というようなことが書いてあります。

 

(以下は引用です)

あなたは、自分が生き生きした無限ですばらしいものの一部であり、目や耳でわかるものを超えた大きなタペストリーの一部だという強烈な感覚を得るでしょう。

「喜びから人生を生きる!」アニータ・ムアジャーニ(117ページ)

 

臨死体験中、亡くなったお父さんの存在を近くに感じたときの描写が、こんな風に書かれています。

 

「パパ、やっと家に帰ってきた気がするわ。ここに来れて、とても嬉しい。つらい人生だったから。」と父に言いました。

「でも、アニータ、おまえはいつもここにいたんだよ。これまでも、これからもずっと。そのことを忘れるんじゃない」まるで言い聞かせるようでした。

「喜びから人生を生きる!」アニータ・ムアジャーニ(118ページ)

 

私はこの本を、知人の勧めで読みました。

 

この部分と、長田弘さんの「花を持って、会いにゆく」。

別々の著者の作品ではあるけれど、すごく重なりがあるなぁと思いました。

もしかして、同じ事を言ってるんじゃないか?というくらいに。

 

歩くことは、ここではないどこかへ、

遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、

どんどんゆくことだと、そう思っていた。

そうでないということに気づいたのは、

死んでからだった。もう、

どこにもゆかないし、

どんな遠くへもゆくことはない。

「花を持って、会いにゆく」長田弘

 

生きてるうちは、ちょうど一本道をたどるように、物事を一つずつ順番にしか認知できないけれど、実際の世界はそうではなくて、全部が同時に自分の周囲に存在している。

「遠いどこかへどんどんゆく」とは、人が「成長する」ということを指すのかな?と最初は思ってました。

 

でも「生きる」ということは、「ほかの何かになる」ということではなし、「遠いどこかへ行く」という目的があるわけでもない。むしろ、「自分のまま」で良いのだということを感じます。

 

もし「詩ふたつ」が「花を持って、会いにゆく」一編だけだったら、ただ死んだ人を悼んで喪に服する心情をうたっただけの内容に見えてしまうのですが、二つめの詩「人生は森のなかの一日」があるせいで、私にはポジティブな内容に見えます。

 

私が持った感想は、

 

長い一本道をたどって人生を歩きつづけたのではなくて、

実はくるくると景色の変わる森の中に一日滞在しただけなのだ。

自分も愛する人も、「いつもここにいる」のだから、恐れることはない。

 

というようなことです。

 

 

突然ですが、

ここでクイズです。

「花を持って、会いにゆく」

の終盤に、こんな箇所があります。

 

春の木々の

枝々が競いあって、

霞む空をつかもうとしている。

「花を持って、会いにゆく」(長田弘)

 

この部分に使われている表現技法は何でしょう?

 

A 体言止め B 対句  

C 擬人法  D 倒置法

 

答えは、次の記事で!

(更新担当・わたらい)




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